2021/08/30 22:50


 

2021830日月曜日 ☀️

 

服のことを毎日書いている。

書く前は(服のことなら無限に書けるわーい!)と思っていたが、流石に毎日書いていると根多(ネタ)が尽きてきた感があるように思っていた。しかし、(いやいや、こんなもんじゃないはずだ、私の洋服愛は。)と粘り強く在りたい気持ちが湧き上がる。

 

根多が尽きてきた感が浮かんでいる原因を探ってみる。

するとそれは単純に、語尾を丁寧語にしてるからだということに気が付いた。私のお知り合いの方々で、これを読んで下さっていると分かっている方々が目上の方が多い、ということもある。そして、私のことを全くご存知無い方たちに、偉そうな感じを抱かせないことも考えた。

これらを考えた結果での丁寧語だったのだけど、やはり思考が固定される。

揺らぐ。揺れ動き、自由にいることが、楽しい。

 

 

服。

以前、空服のテーマを「恋」と書いた。

なんで「恋」なのかというと、私が人の心の変化を特に豊かに感じる事柄が「恋」だからだ。

服は、人の心、つまり精神と直結していると思っている。

なぜなら、他者とコミュニケーションをする為のツールの一つだから。

自分をどう表したいのか。

 

服に興味が無くても、「興味が無い」ということは、またその人のこの社会で生きていくのに服は重要ではないと…


 

…今、地下鉄に乗ってこれを書いている。

駆け込み乗車をした人がいたみたい。

「駆け込み危ないですから、止めて下さーい。」というアナウンスが流れたが、車掌さんの(駆け込み、ホント止めて欲しい。)っていう気持ちがすごく伝わるアナウンスでおもしろかった。

たぶん駆け込みをした人は、もう駆け込みをしない、かな…??



 

服に興味が無くても、というところで話が途切れた。

 

服に興味が無くても、それはそれで、他のことが社会で生きていく上で大切と考えている表れのように感じるが、私は服に興味が無い人生を送ったことが無いので、実際はどうなのかは分からない。

ただ、あくまで、服に興味が有ることが「良い」、服に興味が無いことが「悪い」とは思ってないです。

 

 

服と恋、で思い出すことがある。

 

私は、服装つまりコーディネイトはバランスだと思っていて。

バランスとは、その服装を見た時に、自分の感覚と整合性が有るか無いかということ。

自分の感覚はその時の精神状態に顕著に関係している。

なので私は、精神状態が不安定になると、服装のバランスがおかしくなる。厄介なのは、他者から見て明らかにおかしいバランスの時もあるけど、微妙に、なんとな〜くおかしくなる時の方が多いこと。

 

昔お付き合いしていた人で。

親御さんがファッション業界で働いてて、その人自身もとてもセンスの良い人だった。

ある日、ケンカをしまして。理由はなんだか忘れた。遥か昔の話だから。

仲直りしに行った時、私は一生懸命服を考えてその人のところに行こうとしたのだけど、家の外に出てから、なんとなく服装のバランスがおかしいことに気がついた。

仲直りしようとした時その人に、「あなたが必要。服もなんかおかしくなってるし。」と話したら、その人も私の服を見て「そうだね。」と言い、仲直り出来た。

 

自分の気持ちを素直に表現していたあの頃の自分と。

この会話で分かり合えた純朴さ。

今は高いお空の遥か上にいるその人を想う度に、このことを思い出して、ふふふと笑ってしまう。